
岡野屋旅館は、勝山を流れる旭川の川端にあって
開業は江戸にさかのぼる。
4年前突然に営業を中止してそのままになっていたその岡野屋を
地元の方々やアーティストが中心となって
再び、あかりを灯した「岡野屋旅館プロジェクト」
事務局の高本敦基さんとは、去年の仕事で知りあいになった。
でも勝山は遠いし、
自分が本当に岡野屋に来ることになるなんて
そのときは想像もしなかった。
現在岡山在住の滝沢達史さんが迎えてくれ、
羽田からご一緒した小川敦生さんと共に岡野屋に到着したのは、夕方。

晩秋の夕は暮れるのが早くて、
私が短い散歩から戻ったときには手元が見えづらいほど暗く、
ふたりは電球を灯した座敷に座って
背中合わせに展示の準備をすすめていた。
なにかをつぶやいたり、首を傾げたりしながら
ゆっくりと自分自身を岡野屋にしみ込ませ、
居場所を整えているように見えた。
時々ふっと透明になって、
壁を抜けたり、川から流れて来たり、上から照らしたりしながら。
小川さんの展示場所は、
一階の隅にある、昼なお暗い茶室。
一筆書きの複雑な模様が
障子紙に白いボールペンで描かれ、
小さな窓にはめ込まれている。
窓の下には、大きな石鹸に彫られたあかりの作品。

展示準備が完了した夜9時前、
あかりの方は照明を落とし、
ほの暗い外光だけが差す茶室に入った。

障子紙は淡い光を吸収し
描かれた白い線は地よりも一段階、暗い。

じっと見た後目をつぶってみると、残像がはっきりと見えた。
また目を開く。
闇から闇に出入りしているみたいだ。
明日の朝、
描かれた影はどんな姿になっているのだろう。
雨の日には、夕焼けの夕べには、どんな色になるのだろう。
一階の客間は外廊下が巡っている。
廊下越しの窓からみえる川の中州に
巨大なプリン型の石積みがある。

滝沢さんが地元の高校生と一緒に川の石を集めて積んだもの。
外廊下に面した窓からそれを見て室内に目を戻すと、
部屋の真ん中に、精緻な油絵がある。

部屋から見える、外の景色と同じ、
絵の中の空は晴れていて、信号は青。
絵と窓の外が違うのは、
絵の方は、石積みの上に立っているおおきな「モノ」がいることだ。
実際の景色の方に「モノ」はいない。
それ以外の景色があまりにそのままだから、
見続ければ「モノ」のことを考えないわけにはいかなくなってくる。
「モノ」は今は失われてしまっているのだろうか。
いや、これから作られるものなのか、
作られるのではなくて、やってくるものなのか....
窓の外の風景に脳内で「モノ」を立ててみる。
かなり大きい。
埴輪とか、こけしに似ているけど、なにものだかわからない。
「モノ」とはそういうものだ。

再び部屋に目を戻すと、
油絵の後ろには、各地の土産物がある。
岡野屋のどこかから、滝沢さんが探して来たモノたちだ。
スペインのものもあるし、なまはげもある。
部屋の中に世界中から集まって来て、
宙にとどまっている、記憶の形。
土産物は並べられているから見える。
滝沢さんと高校生が積んだ石積みは見える。
石積みの上の「モノ」は、見えない。
見えないけど、結構考えたから、
私の記憶には「モノ」の痕跡が残っている。
目を閉じてもたしかに見えた、線の影と同じように。
Living in Arts Project
http://livinginartsproject.com/index.html小川敦生
http://www.turqoiserosco.com/atsuo_ogawa.html滝沢達史
岡野屋旅館のこと
http://yamamoji.sblo.jp/article/49864023.html岡野屋旅館のこと 2(もう一つの作品についてのお話)
http://yamamoji.sblo.jp/article/50060711.html
posted by SPIKA at 18:03|
Comment(2)
|
TrackBack(0)
|
旅