2012年03月11日

喪の作業


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 私たちは愛する者を亡くすと、悲しみつつ、
 その人に何もできなかったと後悔し、
 残されたものとして自責の念をもつことがあるのです。
 しかし現代は忙しい時代、その感情を押し隠し、
 すぐに職場や学校に復帰し、
 元気に振る舞わなくてはならないのです。

 本来そのような時、先人達は葬儀や喪に服する時を十分にとって
 信頼できる仲間に繰り返し胸の内を物語る
 「喪の作業」をすることができました。

 
震災を覚える祈りの日の「教会週報」載っていた
職場を去る恩師からのメッセージ。

「渡せただけで満足です。」
と表に書かれた生徒からの手紙をあけてみると
大好きな親族を失ったこと、悲しみがあふれて止まらないので
先生に話を聞いてほしかったけれど諸般の事情でそれが叶わず
手紙を書く、という内容だったそうです。

悲しみと悔いが綿々と綴られたあと、
「ああ、なにかお手紙にしたら落ち着いてきました。
勝手に打ち明けてすみません。一方的にですがうちあけさせて下さってありがとうございました。返事とか、いりません。この手紙も捨てて下さい。うちあけたかっただけなんです。ありがとうございました。」
と手紙は終わり、
それを読んでこちらの体もあたたかくなり赦されたように思った、

と師のメッセージには、書かれていました。

喪に服す、というのは
年賀状を出さないことではなく、
受け入れる、
周りはそれに寄り添う、
ただそういう自然なことなのだと、思いました。





posted by SPIKA at 23:40| Comment(2) | TrackBack(0) |
この記事へのコメント
喪を受け入れること、寄り添うこと、暮らしの中で分かち合いましょう。
Posted by smat at 2012年03月12日 10:10
smatさま

ありがとうございます。
近々遊びに伺わせてください!
Posted by spika at 2012年03月12日 10:37
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