小川敦生さん内田紫陽子さんの展示を観に藤沢へ。
展示は二つの部屋にある。
一つは内田さんの展示、もう一部屋は小川さんの展示。
明るい部屋にあった、夕方の日差しを浴びる内田さんの展示は
無数の楕円の薄紙のが重なり綴られ、縫い糸で蝶結びに結ばれている。
壁や窓の光が移ってグラデーションや気まぐれな色違いを作る。
二度と同じ色は見られないと思いながら、
部屋の光や湿度で、私自身が刻々と色を変えて行く。
同じ時がないのは、私も変わって行くからだ。
水の揺らぎのように、
大きな木が作る木漏れ日の様に、
永遠に見飽きない作品。
まぶしい部屋から移動して
「怖いかも」という小川さんの声を背中に聞きながら元レントゲン室にある、
小川さんの作品へ。
小川さんの作品は、固く細い線でガラスに彫られた羊歯のような渦巻き。
ニクロム線の熱と光を通して壁に映っている。
でも光は弱く、像は何重にもぶれていて、
壁のしみや壁表面のおうとつがつくる影と、見分けがつかない。
作品の像だけではなく光と闇の境界も曖昧。ぼんやりしている。
「幽霊とは、有と無の、体と空の、自と他の境界があいまいになってしまうことなんじゃないか」
と言う小川さんとそれを聞く私の影も、曖昧な固まりになって部屋にあった。
見る時間を生きるということ以外の何ものでもない、"見る"時間。
一緒に見るということは、見る時間と空間を一緒に生きるということだ。
意味のことは考えずただ一人称を生きる時間を。
"転景"
http://atelier-kirigiris.com
2011.9.9-25 金ー日 昼ー夕